01

茜 雲(あかねぐも)
濱田 優(ゆたか)

夕どき五時、梵鐘(ぼんしょう)の音が響き渡る。
いつ頃からか「夕焼け小焼け」のメロディチャイムに乗せて、子どもたちの帰宅を促すメッセージを流す街も多くなった。

逢魔(おうま)が時に鐘やチャイムの音を耳にすると、家路を急ぐ子どもたちの姿が目に浮かぶ。

といっても、五十数年前、ぼくの子ども時代を省みて、鐘を合図に遊びをやめ、家に急ぎ帰った記憶はない。無我夢中で遊んでいるぼくらが家路につくのは、日の長い春夏なら「ごはんですよ」の母の声、日の短い秋冬なら日没時だった。

いつもお腹を空かせ、「お母さん、何かない」が口癖のぼくに、ごはんの呼び掛けの威力は絶大で飛んで帰った。が、ごはん時より先に夕闇が迫ってくると、もっと遊び続けたくて未練を残したものである。

小学生の頃、赤坂見附の近くに住んでいたぼくは、学校から帰ると玄関にカバンを放り投げるなり、友達と遊びにでかけ、灯ともし頃までわれを忘れて遊んだ。

なぜあんなに遊びに夢中になれたんだろう。ベーゴマ、メンコ、魚釣りなど男の子がやる遊びは一通りやったが、中でも野球は長く中学生まで続いた。

野球は道具が要る遊びなのに、戦後しばらくはまともな道具がなく、手作りの代用品でずいぶん不自由な思いをした。

ボールは、丸い石を核にゴムと布を巻き凧糸できつく縛って作る。弾まないし、途中で解けては、しばしタイムだ。グローブ代わりのミットは、ズック製で母が作ってくれた。

使っているうちに、中のアンコが飛び出すのでときどき押し込まないといけない。バットだけは、大工だった父のお陰で、無骨ながら本物らしいバットを持ち友だちに羨ましがられた。

そのうち、手軽に素手で扱えるスポンジボールやゴムまりが出回ると、近くの狭い空き地や道路を遊び場にして、三角ベースやゴロ野球に熱中した。健康ボールを使う本式の軟式野球が主流になるのは、もう少し後、世の中が少し落ち着いてからである。

野球は人が揃わなくてもそれなりに遊べる。二人のときはキャッチボール、一人なら壁投げだが、ただ投げたり受けたりするだけでは飽きる。それで、ピッチングの真似ごとをした。二人なら当然ピッチャーとキャッチャーに別れ、一球ごとにカウントを取り、フォアボールを出したら交代だ。

ストライク、ボールの判定はキャッチャーがする。審判がいても、微妙な球のときは揉める。まして当事者の判定においておや、である。


ある秋の、西空に輝く茜雲が僅かに紫がかりはじめた頃のこと、ぼくは、近所のじゅんちゃんといつものピッチングをしていた。彼がピッチャーでぼくがキャッチャーの番のとき、カウント、ツー・スリーから彼が投げた球の判定で言い争いになってしまった。

「こんなに低いじゃないか」
「ストライクゾーンからドロップしたんだ」

嘘つけ! ドロップなんて投げられないくせに。日暮れが迫ってきたので、彼はピッチャーを交代したくなかったのだ。その日は、何度か彼に判定をひっくり返されたこともあり、いつになくぼくも意地を張って引かなかった。

と、彼は「もう暗くなったから帰る!」というなり走り去ろうとする。「ずるいじゃないか」。追いかけるが彼の方が早い。

たまたま目に入った小石を拾って投げつけたところ、かなり距離があるのに、そのときに限って彼の後頭部に命中してしまった。当たり所が悪ければ取返しのつかないことになる。

頭を押さえ、泣きながら走り帰る彼を呆然として見送った。ふとわれに返る。

向こうの親が出てくる前に母に知らせなければ……。慌てて家に戻った。ぼくの話を聞くや、母は血相を変え、すぐじゅんちゃんの家に飛んで行った。

今度ばかりは大目玉では済むまい。後遺症が残るような怪我をさせたらどうなるか、皆目見当がつかないけれど、大変なことをしてしまった。

悪い想像ばかりが頭の中をぐるぐる駆けめぐる。実際はそれほど長くはないのに、母が戻ってくるまでの時間が無限に長く感じられた。

帰って来た母の顔は、出たときと違って、だいぶ落着きを取り戻していた。
「ともかく悪いことをしたのだから、謝りに行ってらっしゃい」

よかった、石は急所を外れたのだろう、大怪我には至らなかったんだ。
最悪の事態は避けられたものの、じゅんちゃんの家で頭を下げて戻るときのぼくの足が重かった。

母は卑怯なことが大嫌いだ。「後ろから石を投げるなんてとんでもない!」と、酷く叱られるだろう。晩ごはん抜きは覚悟しないと。

ところが、母の口から出た言葉は、ぼくが思ってもみなかったことだった。
「優がこんなことをするなんて、今日はよほどのことがあったんだよ、きっと」

あれ、困った。本当はちょっと感情的になり過ぎての、とっさの出来事なのに――。ぼくはそんなに我慢強いよい子ではない。


最初に事件を告げられたとき、母の胸中はいかなるものだったろう。
じゅんちゃんの家は仕出し屋で、赤坂の料亭街復興の流れに乗って景気がいい。うちは何かと世話になっている。

先だっても、銀行に就職した姉の預金獲得のキャンペーンに大口で協力してもらったばかりだ。

そこの一人息子に石を投げたのだから、大した傷でなくても、まず本人を引っ張って行き謝らせるのが普通だろう。

だが母は、何よりも相手の怪我の様子を心配し、状況を確かめた上で必死にお詫びをして来たのだ。ぼくが謝りに行ったときは、先方はただ「もう済んだことだから」というだけの寛容さだった。

「さあ、お腹がペコペコでしょう。あら、すっかり冷めちゃったね」

夕食を温め直している後ろ姿を見やりながら、この母の絶対無限の慈愛に一生背けないな、と、ぼくは子ども心に思い定めた。

そぞろ寂寥感(せきりょうかん)の漂う黄昏どき、茜さす雲の彼方に今も母の姿が浮かぶ。                          

(東京都発信)

01

彩風号に戻る  Topに戻る