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中学三年の初夏の昼休み、グラウンドで友人達とソフトボールをやっていた。ちょうど、私がバッターボックスに立ったときだった。
どこからともなく、今までに聞いたこともないゴーという音がした。その直後、グラウンドの先の松林が急にざわめき、校舎の窓ガラスがガタガタ鳴り響いた。
初夏の太陽を反射していた窓は、キラキラと輝きを放った。
大地が小刻みに左右に揺れたかと思ったら、今度は大きく上下に振動した。
ピッチャーが、しゃがみながら叫んだ。
「地震だ! 大きいぞ」
「大したことねえわさ。はよ早うボール投げえさ」
背は低いが、肝っ玉の大きい男と言われていたので、私はおのずとそう応えていた。本当のところは、グラウンドの真ん中にいるので危険はないと考えたのだ。
「か、火事だ!」
ピッチャーの指さすほうを振り向くと、職員室の開いた窓から灰色の煙が立ち昇っていた。炎は見えなかった。
それと同時に、蜂の巣を突いたときの蜂のように、校舎の廊下や非常階段から生徒が勢いよく飛び出してきた。先生も少し遅れて出てきて、窓から教室や廊下をのぞき込みながらやってきた。
全員が、グラウンドに集まった。私もバットを手にしたまま整列した。先を争って出口で転んだり窓から飛び降りたりして、怪我をした人が数人いたが、点呼を取ると全員揃っていた。
先生は、救急箱や携帯ラジオや呼笛を持参していた。直射日光を避けようと、全員で松林の中央部に移動した。
ラジオが、新潟で大きな地震が発生したことを続けて放送している。砂地に建っていた県営アパートが横倒しになったり、完成したばかりの昭和大橋が崩れたと伝えていた。
また、津波の恐れがあることを、繰り返し報じている。私の学校もグラウンドも松林も、海抜数メートルの砂地にあった。先生の指示で、近くの小高い丘に避難した。
その後、三十分ほど待っても津波の発生を知らせる報道はなく、学校に戻った。校舎の被害は、壁の一部に亀裂が生じた程度だった。職員室は、地震発生のときに慌てて火鉢に水をかけたせいで、部屋中灰だらけになっていた。
生徒の自宅が被災したかもしれないということで、午後の授業を中止となり帰宅することになった。
当時、私はバスで通学していた。バスの駅まで行くと、バスが来るまで待ち時間があることが分かったし、バスの到着が遅れることが予想できた。
「魚が打ち上がっとるかもしれんから、浜へ行ってみんかさ。」
私は、同じバスで通学している友人を半ば強引に誘って、砂浜に出た。なにも怖くなかったが、浜辺には人っ子一人いなかった。濡れた砂地に細い溝が不規則にいっぱいできている以外、異常が見受けられなかった。やはり、津波は来なかったようだ。
遅れて来たバスは、市街地を抜けて海岸沿いの道に出た。
そこには、今まで見たこともない光景が広がっていた。はるか沖まで潮が引いていて、海底が露出していた。
自転車通学している仲間や、タクシーの運転手や乗客が、遠浅になった海の中で、魚介類を素手で獲っている。私も下車して獲りに行きたい。さっき浜辺に行ったのも、実はこれがやりたかったのだ。
「津波が襲って来たら、どうするんだっちゃ」
乗客のだれかがそう呟いた。
私は、そこで気づいた。引き潮の後は、何が起こるのだろう。
もし、今津波が襲って来ても、海藻で濡れた凹凸だらけの岩場では、走ることもままならない。学校では、津波の襲来を恐れて丘に避難したのだ。
下車して魚を獲りたいと思っていた気持ちが、冷や汗とともに恐怖に変わった。潮が少しずつ戻り始めた。大きな波にならないことを祈った。今のうちに、バスから降りて山に逃げたい。やきもきしていると、バスは海岸線から坂道を登り出した。やっと落ち着きを取り戻した。
自宅に被害はなかった。テレビをつけると、地震の被災報道ばかりだった。私たちの住んでいる島の状況を、簡単に報じた。反対側の湾で津波が発生して、港が水を被り船と車に被害が出たというものだった。
私たちの住んでいるほうの湾は、たまたま震源地の裏手だったので、引き潮は発生しても津波は来なかったのだ。
その後、余震が数回あったが、いつも慎重に避難することができた。
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