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中学3年のときだから、昭和28年の元旦のことだ。横田、菊池、江端の仲良し三人と、大晦日の夜から明治神宮に恒例の初詣に出掛けた。
神社に初参りして清々しい気持になるだけなら、近くの氏神様に行けば事足りる。
だが、普段は親に「もう寝なさい」といわれる夜更けに公然と友達同士で出掛け、日本のメッカを詣でる気分は格別だ。寝静まった街を仲間と歩いていると自然に気持がたかぶる。
夜10時ごろ、赤坂見附に近いぼくの家に三人が集まり出発し、青山通りから表参道を歩き通せば明治神宮入口の第一鳥居に着く。地下鉄で4駅の距離だが、当時はそのくらいは歩くのを苦にしなかった。
境内は樫(かし)、椎(しい)、楠(くす)の照葉樹の巨木に檜、杉、樅(もみ)などの針葉樹が混生した鬱蒼(うっそう)たる森である。深い闇に沈んだ樹林のそこここに精霊が潜んでいそうな雰囲気が漂う。参道のところどころで篝火(かがりび)が焚かれ、神々しさを盛り上げていた。
日頃は敬神崇祖(けいしんすうそ)とは縁遠い戦後育ちのぼくらもさすがに厳かな気持になる。
玉砂利を踏みながら南参道を進むと、代々木からの北参道との合流点にぶつかり、急に参拝客が増え群衆の密度は高まった。大鳥居を潜って社殿に近づき、歩いては停まりを繰り返しながら本殿まで進んで参拝した。
「志望の高校に受かりますように――」
時刻は午前零時を過ぎて新しい年を迎えたばかり。初詣のご利益(りやく)にも先着順があるのなら、こんなときだけの虫のいい神頼みであるが、大願成就(じょうじゅ)が期待できるかも知れない。
参拝の後、同じ道順で歩いて帰ろうとしたところ「初詣めぐりツアーバス」の案内が目に入った。確か都バスがはじめた新しい企画だった。皇居、湯島天神、浅草寺などのコースを3時間ほどで回って、帰りは途中でも希望する所で降ろしてくれる、とある。
「乗ってみようよ。コースの中に受験の神様もあるぞ」
江端と横田がいい出した。「帰るのが遅い」と、怒る親の顔がちらついたけれど、夜明け前には帰れる。それに「お母さんに断らないと……」なんていい出し難い。衆議一決、ぼくらは勇んでバスに乗り込んだ。
バスは青山通りを走って、赤阪の豊川稲荷に立寄り、それから皇居に向かう。宮城では車を降りて二重橋の前で参拝するため、かなりの自由時間を取った。そこかしこに松が叢生している皇居前広場は広々としていて、幽邃(ゆうすい)の明治神宮とはまた違った雰囲気で気持がいい。
ぼくらは、恭しく皇居礼拝をしている人たちとは別行動で、あっちに行ってみよう、こっちに何かあるぞと、はしゃぎながら、玉砂利の広場をグランド代りにして走り回った。
「おい、もう出発の時間だぞ」
腕時計を持っている菊地の声にハッとして振り返ると、ぼくらはバスから遠く離れた所まで来ていた。慌てて全速力で駆け戻る。ぼくは4人の中で一番大きいのに一番足が遅い。足の速い横田に「お前、先に行ってバスを停めておいてくれ」といいながら、一生懸命に後を追っかけた。
それでも、横田はもちろん、菊池や江端からもどんどん離される。ぼくは慌てた。そして少しでも距離を稼ごうとバスを目指して近道を直線的に走ることにした。街灯の光が届かない真っ暗なところだったが、そんなことは構っていられない。
とその時、体がふわりと浮いたと思うと、急落下してポッチャン。
足から腰の辺りが直ぐ冷たくなってきた。お堀に気付かず、コーナーの部分を斜めにショートカットしようとしてもろに落っこちたのだ。落差はたいしたことはなく、水深も浅い上に堆積していた泥がクッションの役をしたて、それほど強い衝撃を受けなかったのが不幸中の幸いだった。
上で仲間が騒いでいる。
「濱ちゃんがいない」「後ろを走っていたぞ」「あれ、何処に行った」
「おーい、ここだ」ぼくは夢中で叫んだ。
仲間はまさか堀の中だとは思わず、キョロキョロしたのであろう。少し間をおいてから、三人が顔をのぞかせた。
そして、見上げているぼくの姿を見るや、ゲラゲラ笑い出して止まらない。早く引上げてくれ、と手を出しても、笑い続けていてなかなか助けてくれない。失敬な奴らだ。
でも、その後は彼らに一方ならぬお世話になった。三人ともツアー続行は諦め、タクシーを呼んで家まで送ってくれた。身も凍る冷たさに震えどおしであったけれど、今考えると、ずぶ濡れで泥臭いどぶねずみ状況の中学生をよくタクシーが乗せてくれたものだ。友達が運転手さんに一生懸命頼んでくれたに違いない。
家では、真夜中に叩き起こされた母が、悲鳴と笑い声を交互に上げた。風呂場に飛び込んで、素っ裸になり、ホースの水で汚れを落とした。寒さ冷たさを感じるゆとりはない。
幸い怪我はなかった。が、どぶ臭い匂いが体に染みこんで消えない。風呂が沸くのを待ちかねてお湯と石鹸でごしごし洗っても駄目だ。悪臭が抜けるまでには何日も要した。
ぼくは風呂で温まって、ともかく一息ついたけれど、母は正月早々とんでもない汚れ物を持ち込まれ、その始末に悪戦苦闘を続けている。
後で「受験生が落ちるなんて縁起でもない」とお小言を食うのは必至だろう。覚悟して身を縮めていると、母はにやにやしながら意外な言葉を口にして、ぼくを元気づけてくれた。
「元旦早々水垢離(みずごり)を掻いてお参りしたのだから、きっとご利益があるのでしょうよ」
だが、母は験(げん)をかつぐ方で、合格を祈って「茶絶ち」しているくらいだから、内心では心配を募らせたはずだ。
母の恩に報いようと、ぼくはそれから気を入れて頑張った――と書けば締まるのだが、母の話だと、ぼくは相変わらずのほほんとしていたそうだ。
それでも、なんとか志望校にすべりこんで母を安心させることができた。
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