01

元気が欲しい
須田 均

十年ほど前、父は忙しさにかまけて精密検査の受診を引き延ばしていた。佐渡の病院の主治医から「悪性腫瘍があり手術しても元の体に戻りません」と宣告された父は『人間なるようにしかならんさ』とうそぶいていた。

従姉や弟と相談して、父を佐渡から東京の病院に呼び寄せ入院させた。付き添って我が家にやってきた母に、自宅から病院までの地図を渡して道順を教えた。母は、初め帰り道を間違えたりバスを乗り過ごしたりしたが、毎日、着替えや洗濯物を持ってせっせと病院に通っていた。手術が成功して元の体に戻ると、笑顔で島に帰って行った。

数年経ったころ、父が体調を崩して再入院となった。母も再び上京して、我が家と病院の往復を始めた。当初元気だった母は、疲れが出たのか病院通いが毎日でなくなり、次第に一日置きになっていった。父が回復して元気をとり戻した際、我が家でしっかり静養してから帰るよう勧めたが、二人そろって「自宅が一番」と言ってすぐに帰ってしまった。

無事着いたとの電話はあったが、その後しばらく連絡が途絶えたので気になって電話をすると、元気に暮らしていると言う。だが、母の声にいつもの張りがないので問い詰めると、父はどんどん復調しているが、母の体力が日増しに落ちているとのこと。心配になって、週末直ちに故郷へ様子を見に行った。

私の顔を見つけた母は、居間で座布団から立ち上がろうとして難儀していた。
手を貸してやっと立ち上がれる状態だった。

「待っとれよ。食卓の椅子を持ってくるから」
母はうなずいてほほえんだ。ダイニングから椅子を抱えて戻ろうとすると「だめだ」と言う父の大声が飛んできた。畳敷きの和室に、洋式の椅子を持ち込むことを嫌っているのだろうか・・・。訳を尋ねた。

「だめなもんはだめだ」
父がそう言うだけだったので、母の手をとって静かにダイニングに連れて行き、椅子に座らせた。

母は黙って、笑顔を見せてくれた。
「じゃあ、ほかに何か欲しい物ある?」
母にそう尋ねると、小声で耳打ちされた。
「杖があると、歩きやすいけも」

一般に杖は他人に贈らない、と聞いたことがある。そこで、息子があげるならいいだろと父に問うと、そんな物はいらないとの返事。理由を訊いても「必要ない」の一点張りだ。

だが、母を苛めているわけでもない。すっかり元気になって働いているし、慣れない食事を作ったり手をとって入浴させたりと、甲斐甲斐しく母の身のまわりの世話もしている。

父の意思があまりにも固そうなので物はあきらめて、介護の認定を受けることを勧めた。
「定期診断で、親父が東京の病院に行くとき、母を家に一人残しておけないし、毎日の食事の世話だってたいへんだろ?」

頑固な父は、最初世間体を気にして反対していたが、そう言うと話だけでも聞いてみようということになった。町役場でショートステーの話や食事の世話について聞いて、やっと介護認定の面接を受ける決心をした。

次に島を訪れると、母は介護一級となりデイサービスを受けていた。母に、困っていることを尋ねた。
「一人で床から立てんから、ベッドが欲しいっちゃあ」

寝間が父と一緒なので、父に内緒で買うわけにもいかない。
ケアマネージャーに相談すると、介護ベッドを貸し出すという。
父にその話をすると、また断固反対だった。

「ほかに、欲しい物はない?」
私の問いに、母はそっと応えた。
「そいなら、車椅子が欲しいっちゃあ」
もちろん、それにも父の横槍が入った。

とうとう我慢できなくなり、正面から父に問いただした。
「親父は、なんでお袋の欲しい物はみんなだめなんだ?」

少し間があった。
「そらあ、便利んもん使うたら、元んように元気にならせんわさ」

父は、入院しているとき、術後早く回復して帰りたいと、自力で起き上がり歩いてトイレに通っていた。
使い勝手のいい物に慣れてしまうと、体が元に戻らないと信じ込んでいたのだ・・・。

元の元気な姿になって欲しい、と強く願っていたのだった。

母は、日増しに体調が衰えていった。さすがの父も、私たち兄弟や母の主治医やケアマネージャーの説得に応じて、杖もベッドも車椅子も徐々に取り入れた。いつの間にか、自宅の床も改築してバリアフリー化していた。

しかし、父の献身的な世話にもかかわらず、昨春母は帰らぬ人となった。

今、父は母の分まで生きると言って、島で一人暮らしている。

(栃木県発信)

01

祝季号に戻る  Topに戻る