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ピンチからの脱出
濱田 優(ゆたか)

あそこであやうく躓(つまず)くところだった、のかもしれない。

高校一年の最初の中間試験がひどい成績だった。これまで見たこともない点が並んでいる。普段の授業である程度予想はついていた。なにしろ英語の副読本を読むスピードに全然追いつけないし、物理の授業で抽象的な思考を要する部分は理解困難だった。のんき者のぼくもさすがにがっくりし、入る学校を間違えたか、と思い悩んだ。

ぼくが通った新制中学は、元気はいいけど、勉強はね、いう学校だった。卒業生の進学率は5割くらい。進学校に行く人は数えるほどしかいない。昭和28年の春、H高校を受けた男はぼく一人だった。

塾にも行かず、さほど受験勉強に精をだした記憶はないが、アチーブメントテストでは一応合格圏に入っていたので、なんとかなるだろうと気楽に構えていた。というと、いかにも自信あり気だが実際は揺らいでいた。

試験当日、「頭脳明朗」をうたい文句の一つにしていた頭痛薬の『ハッキリ』を3袋も飲んだ。結果は、気持が変に落ち着かなくなり逆効果。それでもなんとか滑り込めたのは、内申がよかったからだろう。内緒の話、ぼくが不得手の体育や音楽の実技にも「5」がついていた。

初登校の日、「ここには寄留先の住所を書くのですか。それとも自宅でいいですか」と、書類を書くときに質問をする生徒がいた。越境入学者が大勢いたのだ。クラスメイトの住所をいちいちチェックしたわけでないが、半数近くいたのではないか。学芸大や教育大の付属中学などからきたレベルの高い生徒や地方で秀才と誉れ高い生徒もいる。学区内のアチーブメントテストで合格圏にいても安心できなかったことに後から気づいて、冷や汗が出た。

高校生ともなると、学校の授業の様子などいちいち親にいわなくなる。ことに成績が芳しくないと話しづらい。母はぼくが学校で苦戦していることは察しても、現実に中間試験の結果を見たときはショックを受けたに違いない。小言をいう元気もなく、「困ったわね。個人面談のとき、どうしたものか、先生に聞いてみましょう」というだけだった。

そして、面談当日――、後で母から聞いたその模様はこうだ。
「先生、こんな不出来な成績はいままで見たこともないので、もうどうしたらいいか……」
「まあ、お母さん落ち着いてください」
ベテランのM先生は余裕の構えで受け止めた。
「いまの成績を気にし過ぎないで下さい。これは、生徒自身の力というより、出身校のレベルを示しているといえます」

先生は解説を加える。国立大の付属中とか一部の私立中の卒業生は、よく勉強をするだけでなく、中三で高一のカリキュラムをある程度教わってきている。彼らにとって高一のはじめの課程は復習みたいなもので、出来て当たり前。そんな連中と机を並べるのだから、普通の新制中学からきた生徒には、はじめはどうしてもきつい。

「でも例年の例ですと、一年も経てば学校差は薄れます。伸びる生徒はどんどん力をつけるし、先行していても息切れする子もでてくる。もうしばらく様子を見ましょう。親御さんが神経質になり過ぎて、お子さんを追い込むのが一番いけない。本人に負け犬根性が染み付いたらどうしようもありません」
そういわれても、なにか自分にできる手立てはないか、と思い巡らす母に、先生は止めを刺すように告げた
「もう高校生になったら本人次第ですよ。親はそれを見守るしかありません」

ぼくは、母が先生と面談した後、発破が掛かるだろうと覚悟していた。H高校は二学期制で中間試験と期末試験の間に夏休みが入る。今年は、夏休みを返上して勉強しなくてはなるまい――。

ところが、学校から戻った母は、夏休みに入ったらすぐ山形のおじさんのところに行って遊んでいらっしゃい、と意外なことをいう。このおじさんの一家とは、彼が若いころうちに下宿して以来、親戚付合いが続いている。東京で生まれで故郷のないぼくは、夏休みをそこで過ごし、おじさんと最上川の支流で釣りをしたり、彼の従兄弟たちと海水浴に行ったりするのが楽しみだった。
そこでじゅうぶん英気を養ってから、苦手な科目の夏期講習を受けたらどうかしら、勉強は長丁場だからね、と母は勧める。助かった。ぼくもそう思ったけれど、自分からは言い出しにくかったんだ。

その後、なにかが劇的に変わったという記憶はないけれど、二年生になるころには総じて中ぐらいの成績になった。競馬に見立てれば、先頭集団には追いつかないものの、馬群の中ほどに上がり、後方に離された状態ではなくなった、というところか。いまでは、生来怠け者だったぼくが、ここで揉まれて少しは勉強するようになった、と感謝している。勉強のほかにも、写真部の部活動や行政委員会(生徒会)の役員を務めるなど、そこそこ活発な高校生活を送ることができた。

省みるに、あのときのぼくは、初めて壁にぶつかってひどく落ち込んでいた。なので、やかましくお説教されても逆に放任され過ぎても、道から外れたり落ちこぼれたりしたかもしれない。

大きくなったわが子を、見守り続けることがいかに難しいか、自分が親になって身に沁みて感じたけれど、その時、ぼくの親はすでにいなかった。

(東京都発信)

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