真っ黒な弾丸が目の前を走り回っている。ちぎれんばかりに尾を振って。
そのあまりにせわしない動きに目つぶしを食らったようで「それじゃあ次回に」
そう言われて引き取られて行くまでよく見えなかった。
「どんな顔していた?」
いくら思い出そうとしても顔が浮かばない。まるまるとしたぬいぐるみのような子犬。
走り回ってしっぽを振り回し体をくねらし、私と娘と孫の間を目にもとまらない速さで走り回るばかりで、その小さな犬はまさに黒い弾丸としか言いようがなかった。
「クロ」と名づけられて我が家の一員になってやっと顔が見られたというわけである。目の上に白いぽっちがついていてさながらそれが目のようで、本当の真っ黒な目が真っ黒の体の中で光っているのを見ることができたのはドッグフードを食べているときと、うんちをしているときくらいだった。
来たその日のことだった。びっくりした。
まさか初めてのジャンプに弾みをつけて思い切って飛び出すなんて。
「なんて無鉄砲な子犬なんだろう」
私が舌を巻くのと子犬のぎゃんぎゃんともの凄い叫びを上げるのとが一緒だった。あわてて抱きあげるが、ぎゃんぎゃんの絶叫は止まらない。声がかれるほどかすれてきても鳴き声は止まらない。おまけに足がぶらぶらとしている。慌てて獣医さんにとんでいった。来たそうそうなんと言うことなんだ。骨折か。命を落とすのか、私の胸は張り裂けんばかりだった。
「大丈夫ですよ」
あっさりと言われて拍子抜けした。
「骨折は?」
「ねんざくらいですよ」
「でも歩けないんですよ」
「大丈夫折れていません」
三日ほど足を引きずっていたが、いつの間にか治っていた。
「そんな心配しすぎだわ」
医者ばかりか家族からもざんざん言われて、
「本当にむかし犬をたくさん飼っていたの?」
疑われた。むかしと違うのだ。犬を飼うと言うことは。
日が経つにつれて思い知ることになる。
大雪も日、真っ白な大地の中で真っ黒なクロが、はるか向こうを走り回っている。
「クロ!」
大声で呼ぶと小さな弾丸はまっしぐらにこちらに駆けてきて、必死で首輪をはめようとする私の手を鋭く小さい歯でいやというほど噛むと、またまっしぐらに真っ白い草原に駆けだしていく。夜目にも真っ黒な点が真っ白な草原に見える。
「クロ!」
もう泣きたい気分だった。雪は降りしきり、夜は更けて誰もいない。そんな中を子犬といえども、かつては草原を駆け回っていたオオカミの本能よろしく走り回っている。首輪がすっぽり抜けてしまった鎖を持ちながら、絶望的にはるか彼方を飛び回る犬の姿を追う。呼べば飛んでくる。飛んでは来てもすり抜けて再び遠くに駆けていく。手はかじかんで、体は雪でぐっしょり濡れて、雪明かりしかない夜中、子犬と駆けっこなんて。
―もうしらん―
どうしようもなかった・・・。このままではこちらが参ってしまう。諦めて引き返し始めると気配を察したのか、クロは呼びもしないのに戻ってきた。手が血まみれになるくらい噛まれてやっとの思いで鎖につなぐ。
子犬が来て、すべての生活が一変した。
「絶対面倒見るから飼って!」
そう言っていた孫は、いいとこ取りであんまり当てにはならないが、子犬を通して一番大切な何かを日々つかみつつ成長している。子犬の成長は早く、命を見つめる日々になり、何より大切にすること愛することを実感している。犬を通して話題が増え、協力することも多くなり、何より、クロは何もしないのに限りなく家族を癒してくれる。
犬がいなかった日と、犬が来てからの日々。その何という違い。確かに時間も労力も何もかも大変になったが、その百倍も喜びが日々多くなり、一緒にいるだけで心が豊かになる。クロは家族はもちろんなこと、人と人の心をつないでくれる。
玄関で大の字に寝ているクロは、八ヶ月で生まれたときの十倍近くになり、さらに成長している。
「かわいい!かわいい!」
どう見ても可愛いというには程遠くなったクロを、孫達は毎日そう言って舐めるようにかわいがっている。
もちろん私も。