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遠いむかし、このような優しいまなざしがあったことを憶えているでしょうか・・・。 こころのビタミンエッセイスト濱田 優(ゆたか)さんが忘れ得ぬ人々をとおして、『絆』という温かい健やかな幸せの糸をたぐり寄せてくれます。 |
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| 第1話 ヒコーキ |
| 指折り数えると、ぼくが4歳のとき、昭和17年の初夏の話になる。 幼過ぎてそのときの記憶は断片しか残っていないが、後から繰り返し聞いた話のなかで、あのヒコーキの輝き、一人残されたときの心細さ、そしてその結末の衝撃は、ぼくの目に心に、そしてからだに今もそのときの感覚をとどめている。 そのころ住んでいた赤坂丹後町から歩いて15分ほどの一ツ木通りが、ぼくの行動範囲のなかでは最大の繁華街であった。 そこに月に二、三回、赤坂不動尊と六地蔵の間に縁日が立ち、独特の刺激臭のあるアセチレン灯に照らされた夜店が並ぶ。夜風がこころよくなる夏季、縁日に連れて行ってもらえる日は嬉しくて、朝から日が暮れるのを楽しみにしていた。 夜店で売っているお面や風車にはそれほど興味はなかったが、親の懐が温かいとおもちゃ屋の「おかもと」で何か買ってもらえる。 その宵も、両親と年の離れた二人の姉に連れられて縁日に行き、「おかもと」の前にさしかかった。と、店の真ん中あたりの天井からヒコーキが吊り下げられている。 ゴム動力ながら、胴体が桧棒ではなく骨組を極薄の布地で覆った、いかにも飛行機らしい模型で、光り輝いていた。ぼくはそれに魅せられ、店の前に釘づけになった。 両親は、ぼくがそのヒコーキに強い興味を持ったことはすぐ分かったものの、それは幼児のおもちゃではなく、明らかに小学校も高学年向のものなので、ある意味安心した。 「あれは、坊やがもう少し大きくなったら買ってあげるね」 「うん。見るだけ」 別に行きたい店がある姉たちが苛立ちはじめた。 「もういいでしょう。行きましょう」 「もうちょっと見ていたいの」 しばらく間をおいて、お母さんが断定的にいう。 「ほかにも行くところがあるから、ここはもういいにしなさい」 「はい……」 と答えて歩きかけたものの、ぼくは未練がましく、しばしヒコーキを見返る。 ふと気づくと家族は誰もそばにいないかった。慌ててあとを追ったが見つからない。 迷子になったらどうなるか、日ごろ恐ろしい話を聞かされていたので、急に怖くなり、泣きながらただ親を求めて歩き回った。どこをどう歩いたか憶えていないけれど、最後は、誰かが六地蔵の側の交番に連れて行ってくれた。 一方、親たちはぼくを置き去りにしたことに気づいて、急いでおもちゃ屋にもどったが、そこにはぼくはいなかった。行き違いになったのだろうと、向かいかけていた赤坂不動のあたりを探しても見つからない。 ついにお父さんは夜店の端から端まで走りとおし、思いもよらない反対方向の交番で泣いているぼくを発見したのだ。 やれやれとほっとした親は「坊やがそんなに欲しいなら」と、そのヒコーキを買ってくれた。 家族を待っている間、心細さに胸がつぶれる思いをしていたのに、憧れのものを手にしたぼくは「今泣いた烏がもう笑う」状態ではしゃぎながら家に帰った。 でも、持ち帰ったヒコーキは、居間の天井から吊り下げられ、ぼくの自由にならなかった。 「坊やにはまだ無理だから、お父さんと一緒のときに飛ばしましょうね」 がっかりだ。それからぼくは四六時中ヒコーキを見上げて過ごした。 ところで、お父さんがそれを飛ばして見せてくれたはずだが、その記憶はない。 後に思ったが、いかにもそれらしい胴体を持ったヒコーキはゴム動力で飛ぶには少し無理があるのではなかったか。もしかすると、これは眺めて楽しむ置物、いや吊り物だったかもしれない。 しかし、幼いぼくは、それが自在に空を飛ぶ雄姿を思い浮かべては、憧憬の念を募らせていた。 そこに思いも寄らない事件が起きた。ヒコーキを吊るしている紐が切れたか解けたか、見上げているぼくの目の前にふわりと降りてきたのである。 「わあ、ヒコーキ! ヒコーキ!」 喜びのあまりわれを忘れたぼくは、走りよるとヒコーキにまたがって乗っかってしまったのだ。 やわな機体がお尻の下で無残に潰れるときの感触を今でも憶えている。 物音に気づいて駆けつけたお母さんは「あら、あら、あら」といったきり絶句。 でも叱られることはなかった。 それどころか、この迷子とヒコーキの事件の話が出るたびに、お母さんは、きまりが悪そうな顔をしながら、こう締めくくる。 「坊やの気持ちはわかっていながら、あんまり高かったもので、つい……。かわいそうなことをしたよ」 姉たちも後ろめたそうに振り返る。 「あたしたちが先を急がせたから、坊やを迷子にして……。 気のすむまでヒコーキを見せてあげればよかった」 こんな家族の思いやりの中で育てられたぼくは幸せといえよう。 このエピソードを自ら省みて、「肝心な時に自分の気持ちをストレートに伝えられないくせに、諦めが悪くていつまでも引きずる――ぼくの悪いところが、こんな幼いときにもう現れている」と、気づいたのは、かなり人生経験を積んでからのことである。 |
| (C) YUTAKA HAMADA | |||||||||||
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