幼いころの住まい、赤坂丹後町の家の周りには、一風変わった人たちが住んでいた。
一番羽振りのよかったのは、宮内庁のコックさんの一家だ。メガネを掛けた奥さんが派手で目立った。ぼくがもの心ついた昭和17、8年、生活物資が日に日に乏しくなっていく中でもこの家は別世界。うちのお母さんも、不慣れなお世辞を使ったりして、普通では手に入らないバターや砂糖などを分けてもらっていた。
隣がオメカケさんの家だった。そこのお手伝いさんがぼくを可愛がってくれた、と姉さんが笑いながら伝えるが、残念なことに憶えていない。
後で空襲に遭ったとき、ぼくを連れて逃げてくれたワタナベさんは、正に命の恩人であり、忘れてはならない人である。彼女は未亡人で一人住まいをし、どこかの事務員をされていた。
以下省略して――、幼いぼくの心に残ったカジエのおじさんの話に移ろう。
この家は、真っ白な頭の年齢不詳のおばあさんと、白髪交じりの年の離れた弟というおじさんの、ちょっと変わった二人暮しだった。おばあさんは、おしゃべり好きの未亡人で、子どもが何処かにいるようだが、なぜが弟と一緒に住んでいる。おじさんは柔和な人で怒った顔はまず見たことがない。ぼくは彼になついて、しょっちゅうカジエさんの家に入り浸った。
ぼくには姉が二人いるけれど、もう女学校に通っていて、遊び相手になってもらえない。それに周りには同じ年頃の遊び友だちがいなかったので、ありんこと話したりして一人遊びすることが多かった。それで、優しいおじさんが、昼間も家にいることが多いのを幸い、ぼくは彼に付きまとったのだ。
彼は慶応出のインテリだそうだが、世にいう仕事らしいことはしていない。蝶を採ったり、小鳥を獲ったりして暮している。それで生業(なりわい)として成り立つのか、今もって不思議な気がする。おばあさんが、米や味噌が切れたといって、ちょくちょく借りに来ていたところをみると、生活はかなり苦しかったのではないか。
最初にオオムラサキの標本を見せてもらった。大きな標本箱に並んだそのきらびやかな姿は、目を奪う美しさだった。子どもの手の平くらいはある大ぶりの翅を広げ、周辺は褐色系の地に黄白色の斑紋が散らばり中心部は鮮やかな紫色に輝いている。おじさんは、夏になると高尾山まで採集に出掛けるという。昼なお暗い奥山の森に紫光る蝶蝶が乱舞する幻影を、ぼくは勝手に思い描いた。
身近に飛んでいるモンシロチョウやアゲハより先にオオムラサキの名を覚えたものの、ぼくは実際にそれが飛んでいるところは見ていない。その意味では今も憧れの幻の蝶である。大学生になった昭和32年に、オオムラサキが国蝶に指定され、記念切手が出たときは、幼馴染みが勲章をもらったみたいな気がして誇らしかった。
オオムラサキは綺麗だけれど標本をいつまでも眺めているわけにはいかない。その点、生きた小鳥は籠の中を動きまわり、鳴いたり、餌をついばんだりするのかわいく見飽きない。カジエのおじさんは、家中ところ狭しと竹の鳥篭を積み重ねて、鴬や目白を飼っている。
はじめは、彼が作るすり餌や小鳥の糞の臭いが気になったけれどすぐ慣れた。おばあさんが米や味噌を返しにくるとき、鴬の糞をお礼に持ってくることがある。これが高価な美顔料だとは、後から聞いて知った。
おじさんが鴬や目白を捕まえるのは、意外にも近所だった。うちの辺りはみな借家だけれど、その周囲には大きなお屋敷がたくさんあった。その広い庭の木叢(こむら)は小鳥たちに格好な棲みかだ。春先のまだ余寒が残るころ、何度か鴬狩りに連れて行ってもらったことがある。おとりの入った鳥篭と鳥もちを塗りつけた竹竿が道具。彼は小鳥の鳴き声などで狙いをつけ、外塀から仕掛けを庭に差し出して待つのだ。
しかし、ギャラリーのぼくが面白がるほど獲物は簡単には捕れない。憶えているのはむしろ失敗談の方だ。あるとき、もち竿の捕まった鳥が大暴れしているので、ぼくは「やった!」とおじさんを見上げたら渋い顔をしている。それはおとりを狙った百舌だった。百舌は大きく嘴が鋭い。鳥の扱いに慣れた彼も、野性を剥きだしにして激しく暴れる百舌にはてこずった。それを竿から外すそうとしてつつかれ、手から血を流した時は、珍しく怒りをあらわにした。
こんなこともあった。いつものように仕掛けた後、間を置いて「掛かったかな」と期待しながら戻ると、庭番の爺さんがおでこに青筋立てて噛みついてきた。柿泥棒をして追いかけられる話はよく聞いていたので、てっきり鳥泥棒の罪で捕まったか、と肝を冷やしたけれど、そうではなかった。
「この非常時に、いい大人が小鳥を追いかけたりして……」
その爺さんは、時局をわきまえない不届き者! とお説教をはじめたのだ。カジエのおじさんは反省のポーズで話を聞いていたけれど、帰るときは、「叱られてしまったね」と苦笑するだけで、応えた様子はなかった。
その夜、卓袱台(ちゃぶだい)を囲んでの夕餉(ゆうげ)の時、この出来事を持ち出すと、
「やっぱり」姉さんたちはいう。「近所でも、あのおじさんは変な人だ、と噂しているわよ。坊やも気をつけないと」
「でも、他人(ひと)に迷惑を掛けてるわけではないし……」お母さんは間を取ってから、自分の意見を告げた。「今までどおりにしたら。きっと、おじさんは男同士の話し相手が欲しいんだろうよ。坊やもそうでしょう」
ぼくは、男同士というのが気に入って、その後もときどき彼を訪ねた。が、ほどなく幼稚園に通うようなり、遊び友だちができると、自然に足は遠のいた。
カジエのおじさんは、都会っ子のぼくに蝶や小鳥と接するよろこびを教えてくれた。それに、あの時代に戦時色に染まらず、ひょうひょうと好きに生きたのは凄いことだ、と今なら思える。ぼくが幼いときに巡り合った、忘れえぬ人である。
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