遠いむかし、このような優しいまなざしがあったことを憶えているでしょうか・・・。

こころのビタミンエッセイスト濱田 優(ゆたか)さんが忘れ得ぬ人々をとおして、『絆』という温かい健やかな幸せの糸をたぐり寄せてくれます。
 第5話 東京空襲のとき
不朽の名画『風と共に去りぬ』をはじめて観たのは、中学3年のときだった。
昭和27年、本邦初公開のロードショーを上映した有楽座で、切符を買うのに朝早くから並んだ記憶がある。

そのころのぼくには、この文芸大作の感動シーンや恋愛模様より、戦闘場面の方に興味があった。なかでも、アトランタ炎上のシーンの臨場感は衝撃的だった。大きな建物が焼け崩れ、燃えさかる街の中で群集が右往左往する場面は、自分自身の空襲体験と重なり、まるでその現場に戻ったように引きこまれた。

昭和13年生れのぼくと同世代の人で、東京空襲を実際に体験したひとは多くない。空襲がはげしくなるにともない、個人の縁故疎開や学校単位の集団疎開で、ほとんどの学童は田舎に移動したのだ。ぼくは数少ない居残り組。その理由は定かでないが、うちの親が、疎開学童の苦労話を聞いていて、小学生になったものの甘えん坊のぼくには親元を離れて暮す集団生活はまだ無理と判断したのかもしれない。

昭和20年5月25日の空襲で赤坂田町のぼくの家は丸焼けになった。

その前日も小さな空襲があったが、そのときは家の周りは焼夷弾がパラパラと落ちてきた程度。それで、あちこちの家が燃えたものの、隣組が協力し合うバケツリレーなどの日ごろの消火訓練が役立ち、火災の延焼を防いで大事に至らずにすんだ。このなまじの成功体験で、町内会の人たちが自衛の消火活動を過信した。3月10日の下町の大空襲でひたすら逃げる以外に命助かる道はない、と解っていたはずなのに。

家を守るとなると、幼児(おさなご)は安全な場所に避難させた方がいい。
それで、25日に警戒警報が発令されるとすぐ、ぼくは田町に移る前に住んでいた丹後町のワタナベさんの家に避難した。丹後町なら強制疎開で多くの家が間引かれ、類焼の心配は少ないと考えられていたのだ。ワタナベさんのところは強制疎開をまぬかれた数少ない家で、おばさんが一人で男手のない家を守っていた。

25日の大空襲は、前日とはまったく違って、すさまじい猛襲だった。消火活動なんて全然役に立たない。数多くの家を壊しての、せっかくの防火帯も延焼を少し遅らせる程度の効果しかなく、かえって逃げ遅れる原因になった。

実際、ワタナベさんの家にも火炎が迫り、逃げなければ、と外に出たときは、すでに周囲は火の海。安全な避難先の当てなどなく、ただ火の回りの遅いところに向かって逃げるしかなかった。しかし、どこに行っても赤い焔の舌が執拗に追いかけてくる。

途方にくれているとき、列をなして逃げる兵隊を見つけた。ワタナベのおばさんが必死に彼らの行先を質したけれど、誰も黙して語らない。そこで隊列の跡をつけることにした。だが彼らの足は速い。見失ったら大変だ。ぼくたちは懸命に跡を追う。ついに紀伊国坂の避難場所に逃げ込んだときは二人とも息たえだえだった。

一方、別行動となったぼくの家族は、最後まで消火活動を続けて逃げ遅れたものの、赤坂見附の近くで類焼を免れている宮家を見つけ、そこの庭に入れてもらって助かった。

翌日、わが家の焼け跡で家族に再会を果たし感激の対面をした。
両親と姉二人、そしてぼくの家族全員が、ともかく無事に生きのびたのだ。
因みに、この空襲での死者は7千数百人と聞く。桁が違うが、3月10日の大空襲に次ぐ被害が出た。

家族揃って無事だったことが、どれだけ幸せなことか、狂喜する親や姉たちの傍らにいながら、そのときのぼくには今ひとつ解らなかった。が、後になって戦火で愛児を亡くした親の哀しみや戦災孤児の苦難を知るにしたがい、自分の恵まれた境遇に感謝した。すんでのことで自分も彼らと同じ運命を辿るところだったのだ。

ワタナベさんは、いくら感謝しても足りないぼくの命の恩人だ。
だが、彼女は逆に
「いえ、わたしの方こそ、坊やが一緒だったから諦めずに逃げ切れた」
お義理でなくそう思っている、と語る。

「預かった坊やを死なせてはいけない。なんとしてもお母さんに返さなければ、と思う一心で無我夢中だった。もし自分一人だったらとても……」
たしかに、とっさの場合気力が何よりものをいうとしたら、ワタナベさんのいわれるとおりだろう。

毎年5月になると一夜にして人の運命を分けた戦災体験を思い出す。あれから63年経っても、世界のそこここで戦乱があり、戦禍で家を失い、家族を亡くし、愛する人を喪って悲しみにくれる人々が絶えない。

実際に東京空襲を経験した人が少なくなってきた。これからも命あるかぎり語り続けていこうと思う。

(C) YUTAKA HAMADA
これまでの作品 企業OBペンクラブ作品
第1話 ヒコーキ
第2話 オオムラサキと鴬
第3話 ワンダーランド
第4話 姉たちからの贈り物

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