記憶をたどると、心地よい切なさが追いかけてきます。
たまには、心のアルバムを深呼吸させてみるのもいいものです。
今とは、ちょっと違ったしあわせな時間を散歩してみませんか。
ぬくもりアーティスト高木政史さんによるなつかしい風景をお楽しみください。
〈ぼくとお兄ちゃんが最初に覚えた花の名はタンポポ〉
「カン蹴りしよう、じゃんけんぽん、あいこでしょ」めったに車が通らない、まだ舗装されていない道の真ん中に鯨の缶詰の空きカンを置いた。

じゃんけんに勝ったぼくが、遠くへカンを蹴り隠れるところを探した。
いつも最初に見つかって鬼ばかりするから、絶対に見つからないところに隠れよう。

よーし、ここなら・・・。小さい子どもが横歩きして入るしかない家と家の細い所を入って行った。
あ、小ちゃな庭・・・。草一本生えていない庭に出た。

「ブアー、アー、ボーオー」大きな声が突然家の中からした。
驚き見ると、ぼくよりお兄ちゃんと分かる人がこっちを見て大声を出していた。
その声におばさんがお兄ちゃんのところにとんできた。

「ごめんね。おどかして」
「ぼくこそ勝手に入ってきてごめんなさい。カン蹴りしていて、鬼になりたくないから入ってきちゃって隠れているの」
「そうだったの」

お兄ちゃんには障害があるとすぐ分かった。
カン蹴りをする前、胸のポケットに入れたタンポポ一本をお兄ちゃんに見せ「タンポポ」と言い差し出した。
ぼくには、お兄ちゃんも『ダンポポ』と言ったように聞こえた。
「あげる」「はい、ありがとうね」とおばさんが言い、タンポポを受けとってくれた。

江戸切り子でできていると言った花瓶にタンポポを入れてくれた。美しかった。ぼくには、また『ダンボボ』と聞こえ大喜びしているように見えた。

その声を聞きつけ、また人が来た。あ、同じクラスの女の子・・・。静かな子で勉強以外は本を読んでいるか、外を見ている子だった。ただ、先生に指名されて本を読むと、なんと上手にきれいな声で読むんだろうと思った子だった。

そして、この子がここの家にいると分からなかったのは、ぼくたち近所の子どもたちのところへ遊びに出てこなかったからだった。

「こんにちは」「こんにちは」
その子は縁側に座ると本を読みはじめた。ぼくも縁側に座って聞いた。
その間、お兄ちゃんも静かだった。

お茶入れましょうね。初めて甘〜いコンデンスミルク入りのミルクティーを飲んだ。そして見たこともないお菓子も食べた。

「ごちそうさま」「また来てね」とおばさんが言ってくれた。

外の方で「あいつ、家にかえっちゃったんだよ」と声がした。
また服を汚しながら外に出ると、もうカン蹴りはすでに終わり、みんなはメンコをしていた。

それから天気のいい日には、必ずぼくはタンポポを持ってお兄ちゃんの所へ遊びに行った。本当は甘〜いミルクティーとお菓子を食べたかったからだった。

江戸切り子の中のタンポポ。お兄ちゃんの『ダンボボ』という声と喜ぶ顔。そしてやっと友達になれた子が本を読むのを聞き続けた。

長〜い雨の日が続いた。照る照る坊主を作ったが、なかなか外に遊びに出ることができなかった。

晴れたぞ――。

ぼくはタンポポを探し、両手いっぱいに摘んで行った。
「こんにちは」お兄ちゃんの姿がなかった・・・。

「突然死んじゃった・・・」と、おばさんが教えてくれた。
そして「ありがとう」と言った。

タンポポが両手から落ちていった。
声を聞き、出てきた友だちは「あんなにお兄ちゃんがタンポポ一本で喜ぶんだったら、この庭にお花畑を作りたかった・・・」と泣いた。

じゃ明日から、お花畑を作ろう。どうしてこの庭に草一本ないのかがすぐ分かった。庭の三方を家の壁に覆われて南向きの庭なのに日差しが入らない。

よ――し、町の発明家のおじさんに聞いてくる。
ガラリヤ湖の上を歩き渡り、みんなを驚かしたという話を知ったその日から、発明家のおじさんは水の上を歩ける靴を作り始め、失敗ばかり。いつも東郷神社の池に落ちている発明家。そんなおじさんに相談をすると、腕組みをして困ってしまった。「家をこわすしかない」と発明家らしくないことを言った。

じゃ、いろんなものに花を植え、日が出ているところに出して育てる。その後庭に戻す。それしかないと頭の髪をかきながら言った。植木鉢などがだんだん増えてきて、日が当たるところに出し戻すのが大変になってしまった。ただ日の入らない庭にも花が咲くようになった。

東京オリンピック開催が決まると道路拡張の話が出て、日陰をつくっていた家が取り壊された。なんと一日中庭に、日が当たるようになった。自然はすごい・・・。種を蒔くだけで、お花畑を作ってくれた。

お兄ちゃんに見てもらいたかった。このお花畑を見てくれている・・・きっと。
あっ、紋白蝶、あっ、揚羽蝶・・・。そんな楽しい時間は短かった。お兄ちゃんの家も立ち退きと決まっていた。

お花畑もお兄ちゃんの家も消え、国立競技場への広い道が完成。その道の脇にすぐタンポポが咲いた。強いタンポポは今も咲く。


お母さん、お父さん。結婚記念日おめでとう。
テーブルの上にはぼくが摘んできたタンポポと、おねえちゃんと作ったカレーライス。
「ねえ、ねえ、お母さんとお父さんとおねえちゃんの最初に知った花の名覚えている?」「え――と」
「ぼくとお兄ちゃんは、最初に覚えた花の名前は絶対にタンポポ」

「お兄ちゃんって誰なの?」「ないしょ・・・」

きっと優しく本を読んでくれた彼女は、今もおばあちゃんになっても子どもを膝に乗せ、優しく本を読んでいるだろう。そして近所のどんな子どもたちにも。
Copyright MASASHI TAKAGI
ビタミンYOU 高木政史個展「昭和のビタミンアルバム」開催中
これまでの作品
おじいちゃん、炬燵にはいりなよ
足踏みミシン
ゼンマイ仕掛けの柱時計
すみません。おじいちゃん、おばあちゃん
魔法のやかん
いまだかって百まであんなに早く数えたことはない
2ヶ所の雪だるまの運命
地盤沈下か河童のいたずらか
1回だけ
上天丼にはえび3本